院長あいさつ

院長あいさつ

 

この度,平成20年4月1日付けで,父・吉牟田直の後任として松下病院の院長に就任いたすこととなりました。
祖父である故・松下兼知が長崎医大・精神科の助教授時代に長崎市で原爆に遭い,九死に一生を得て故郷の福山町に帰郷し,昭和25年福山病院を開業。その後,昭和32年鹿屋市に西原保養院,そして昭和34年7月隼人町役場の跡地に松下病院は開院されました。開院当時は25床でスタートした病床も,現在は精神科232床,内科療養病床44床となっております。病院発足当時から市来昭彦先生,種子田哲郎先生,赤崎安満先生(前・鹿児島県精神科病院協会長)が院長を勤められ,そして,昭和40年より父・吉牟田直が病院長として就任してまいりました。

当時私が6歳で,その後は自宅が病院内にあった関係上病院の中で育ちました。当時は精神科病院にも児童が入院しており,その子達と一緒にランドセル背負って小学校へ登校したり,病院のグランドで鬼ごっこやキャッチボールをして遊んだ想い出があります。その頃を知っている患者様からは,いまや50歳になっても「ちゃん」付けで呼ばれることがあり,特にスタッフの前で愛称で呼ばれると,何か気恥ずかしさを感じます。私が高校の時のある思い出ですが,『表には高校名と名前しか書かれておらず,裏にはとても意味不明な判読不能の文字が書かれたある一枚の葉書』が数週間,毎日,学校に届いたことがあります。担任教師には「いじめか?」と,心配をかけましたが,実は入院中のある患者様からの暖かいメッセージだったのが,後に判明したことがありました。

鶴丸高校を卒業後は東京慈恵会医科大学へ進学し昭和60年に卒業,2年間の内科研修を終え,昭和62年より精神科へ入局しました。森温理教授,牛島定信教授と2代の教授のもとで精神医学,精神医療を学びました。森教授は精神薬理学の専門,後任の牛島教授は精神分析学の専門であり,全く質を異にした精神医学を学ぶことになり当時は少なからず困惑があったことが思い出されます。しかし,両者を学ぶことで,色々な視点,様々な側面から診ることの大切さを学びました。特に,現東京慈恵会医科大学・精神科教授の中山和彦先生には,医学・医療・精神薬理学の研究など医学の基礎から研究まで広い分野においてご指導をうけたまわり,今の私の精神医療の基礎を築いてもらえたと実感しております。そして,東京慈恵会医科大学での医局生活を終え,平成6年4月より帰郷し松下病院の副院長としてこれまで実務をこなしてまいりました。

坊主・ランニングシャツ・パンツ姿の入院患者様も,長髪・Tシャツ・スポーツパンツ姿に変わり,精神科治療薬の進歩でもう同じ顔つきはしておりません。認知症専門病棟が出来たため外来待合所には御年寄りや小さな子を連れた御家族が見られるようになりました。思春期の若者や中年層の方々など,一般科病院の外来待合室と遜色なくなってきております。そして,CP,OT,PSW,PT,介護福祉士など色んな職種が関わるようになり,萎えつつある私の脳は指示を出す相手を間違えそうになります。このように精神科病院も変わってきております。この変化に乗り遅れないように,精神科病棟の機能分化,ストレスケア病棟の創設を図るべく病棟改築を行ってまいりました。

『温故知新』を座右の銘にして,「安らぎ」「安心」「希望」「意欲」をモットーに暖かい地域医療を行なっていく努力を尽くす所存であります。今後とも,皆様方にはご指導,ご鞭撻のほどよろしくお願い申しあげます。